話す=放す=解き放す
石巻へボランティアに行った時のことです。
ある60代男性(津波の被災者)の足腰を治療をしました。
いつからどのように痛かったのかを聞いているうちに、次のようなことを話してくれました。
「自分は、石巻から東京へ出て仕事に就き、東京の人を嫁にもらった。
二人の子供に恵まれ、仕事も安定して何不自由なく定年を迎えることが出来た。
これから先は、生まれ故郷の石巻に戻って、好きな釣りをしたり、旅行をしたり、昔の仲間たちと楽しく過ごせたらいいなと思い、東京の住まいを引き払い、実家の近くに住まいを建てた。
ところが、都会生まれの妻は、不便で何もない田舎暮らしは嫌だと、始めからあまり気乗りがしなかった。
そんな妻に、自分の希望だけを無理やり押し通して、田舎に連れて帰った矢先だった。
〝3月11日”、、、その日から、自分の記憶が全く無くなってしまったかのようであった。
大きな揺れと、一瞬の津波によって、あっと言う間に二人とも荒海の濁流にのみ込まれてしまった。
たまたま自分は、つかまっていた柱と共に、水面にぽっかり浮き上がって、息を吹き返し生きていることが分かった。
ところが、妻はいつまでたっても浮かんでは来なかった。
変わり果てた妻の姿に再会できたのは、4月も末になった頃だった。
自分の我がままを通してしまったばかりに、妻をこんな目に合わせてしまった。
自分が、石巻に戻るのを少し我慢すればよかったものを、、、、。」
と毎日毎日自分を攻めたそうです。
避難所の中は、連日沢山の人が出入りしていて、バラバラになった家族が再開したり、諦めていた人の消息がわかったりと、うれしい情報もあちこちで飛び交っていたようです。
でも、「そんな情報は、自分には関係ない。耳障りなだけで、聞きたくなかった」と言っていました。
「なんで俺だけが、、なんでこんな目に、、、」と思いながら、とにかく一人になりたいと、毎日避難所から離れ、海の近くや川のほとりに行って、ぼーっと景色を眺めている毎日だったそうです。
たまたまある日、近くに同じような人がいるのを見つけ、声をかけてみたそうです。
すると、その方は、五人家族のうち助かったのは自分だけだとか、親兄弟、親戚、親友みな流されてしまったしまった人などが沢山いることがわかり、自分よりもっともっと辛い思いをしている人たちが多くいることを知ったのでした。
そんな人たちと話をしているうちに、「自分より辛い人はたくさんいる。そんな人たちから比べたら、自分はまだましな方かもしれない。過ぎてしまったことをいくら悔やんでもしょうがない」と考えられるようになり、いろんな人たちと話をしているうちに、少しづついつもの自分に戻ってきたような気がすると言われました。
全ての話が終わると同時に、私の治療も終わりました。
すると、「なんだかすっかり良くなった。身も心も軽くなったようだ」
と言うのです。
私がしたことは、特別なことをしたのではなく、普通にマッサージをしながら、その方のお話しをうなづきながら聞いていただけなのです。
心の中が苦しみや悲しみでいっぱいになると、心は破裂しそうになります。
そんな時は、話をする、それは心を放す、つまり、いっぱい詰まった心のわだかまりを解放することになるのだと思います。
私たちが被災者の方々と接するときに出来ること、それはただひたすら話を聞くことです。
殆どの方が、自分の話を一部始終話終えると、一様に穏やかな顔つきになり、ほっとした表情になります。
その表情を見ると今度は私たちがほっとします。
話すこと(放すこと)で人は楽になれるような気がします。