ボランティア
震災以後3月4月5月とボランティアで避難所に行っていました。
以前の私は、ボランティア活動というと、どうも偽善的な響きがあって、自分の中には戸惑いがありました。
自分は、聖人君子ではないし、正義の味方でもない。ただただ普通の人間だから、急に善人ぶることは、取ってつけたようになってしまう、、、と。
ところが、今回の震災で、そんな思いは一瞬にして変わってしまいました。
考えているヒマがなかったのです。
考えるヒマがあったら、まずは動けということになってしまったのです。
まず、原発事故の夜、急きょ従業員の家族が深夜に避難してきました。
突然、当院はその夜臨時避難所となりました。
なんとか一夜を過ごして頂きましたが、着のみ着のままで避難してきた方々からは、たった一晩だけなのに、皆さんから感謝の言葉を頂きました。
また、ドタバタしていたその夜、親戚から訃報が入り、急きょ駆けつけることとなりました。
地震の2日後には、電気、電話、携帯、ガス、水道、暖房、食料、ガソリンなどないないづくしの中、近くの避難所から、急患を診てほしいとの依頼がありました。
骨折の患者さんでしたが、それがきっかけとなり、避難所には、多くのけが人や体を痛めた方が沢山いることがわかり、その日から、避難所に、ブ―スを設けてボランティアの治療所を始めることになりました。
また、親戚、友人、などが次々に被災、避難していることがわかり、なに不自由なく、普通にごはんが食べられ、温かな布団で寝ている自分に気付いた時、自分も何かしなければという思いが強く湧き上がりました。
今の自分にできることは、物資でも、お金でもなく、直ぐに出来ること、、、それは、怪我や、痛みの治療と癒しを提供すること、、、。
それから、あちこちの避難所に出向くことになりました。
被災者の生の声を聞くにつれ、新聞やテレビを見て思いを馳せるヒマがあったら、直接現場に出向いて、話を聞いたり、何かしら行動を起こした方が早いことがわかりました。
ストレスや痛みを抱えている方々は、自分の話を聞いて欲しい、わかって欲しいという思いがあります。
また、それとは逆に、そっとしておいてほしい、一人の時間と空間が欲しいという方々もいらっしゃいます。
いろんな方々と関わり合うこと、即ちそれが実践であり、人のためだけではなく、気付いたら、狭かった自分の了見が少しづつ広げられたような気がしています。
案ずるより産むがやすしといいますが、行動すると、いろんな気づきを頂くことができます。
たいそうなことをするのではなく、自分にできることを気負わずに、ただただやり続けることが大事なんだと思いました。