八幡太鼓と銅像
今日、午前中、近くの
鎌田小学校の学習発表会、
“こたて祭”がありました。
評議員のお呼びがかかって出かけたのです。
子供達が演じた八幡太鼓、、、
その前に、子供達がその地区に伝わるある話を
してくれました。
その話とは、、、
福島市内の本内地区に本内八幡神社があります。
その一角に、初代鎌田小、校長先生の
銅像があります。
当時、自分達の地区に子供達の小学校を作ることが、
地域の住民みんなの願いでした。
しかし、小学校を建てるには、大変な資金と労力が必要でした。
土方の大将と人夫達が地元の人達から集めた
浄財と奉仕作業で建てた念願の小学校は、
当時、地域みんなの希望と誇りの象徴でもありました。
先の大東亜戦争の時、資源の乏しい日本は、
国中から武器の原料となる金属を集めました。
当時の軍は、その銅像にも目をつけ、町長にその銅像を
壊して軍に出すよう命令しました。
町長は土方の大将に、銅像を壊して軍にさし出すように伝えました。
早速、大将は数人の人夫と共に銅像の元に向かいました。
しかし、銅像に手をつける人は誰もいません。
来る日も来る日も、銅像に集まった人夫達は、
ただただタバコをふかすだけ、、、
業を煮やした軍は、町長に催促しました。
町長もまた、土方の大将に、その旨を伝えました。
大将は、「ハイわかりました」とだけ言って、
銅像の所に戻り、また人夫達と
相も変わらす、毎日毎日、のらりくらりと、ただただ
タバコをふかすだけでした。
そして、とうとう終戦の8月10日を迎え、
軍から催促されることは無くなりました。
のらりくらりとやった町長と土方の大将の
ダラダラ作戦、大成功です。
地域住民の希望と誇りの象徴を守り抜いたのです。
今でも、本内八幡神社の入口には、
立派な銅像が当時の姿そのままにそびえています。
子供達が演じた八幡太鼓、、、
力強い太鼓の響きに、
遠い先人達の熱い思いが
私の胸に強く響きました。
一つの銅像と祭り太鼓、、、
その背景には、多くの人の
思いがぎっしり詰まっていたの
デ・ス・ネ(^_^)/